「能登牛とは?」
 石川県内の肉用牛関係団体で構成した「能登牛銘柄推進協議会」が、県内で飼育されている黒毛和種(毛色が一面に黒又はこげ茶色)の肉牛の中で、全国同一の基準で格付けされた肉質、肉色などの優れたものを「能登牛」と認定しています。

「能登牛の由来」
 遠く天照大神の時代、「越根別のしらたへ牛馬の牧を開く」(越根別=今の北陸地方)にさかのぼり、赤褐色の小柄な牛との言い伝えが残っています。また、寛永3年、前田104万石の3代藩主前田利常が能登外浦一帯に製塩業を推進し、製塩薪炭搬出に役牛として増殖を図ったと記されています。現在の能登牛は明治25年、兵庫県の但馬地方より3頭の種雄牛を導入したのを始めとし、大正13年鳥取県より8頭を導入し、その後毎年、少数ながら計画的に導入された牛が現在の能登牛の元祖になったと思われます。
 この時代の和牛導入は農耕用を目的とした役牛で、四肢、前駆の強健な牛が導入されていました。
 昭和9年、石川県が兵庫県美方郡より種雄牛1頭をを導入した頃より、鳥取系と兵庫系、いわゆる体積型と資質方の和牛雑種繁殖、和牛一代雑種の生産が奨励され、この和牛一代雑種が体積に富み、資質良好で発育よく立派な和牛として高く評価されていた。
この和牛一代雑種に兵庫系の雄牛を交配し、和牛の改良を目指したが鳥取系欠点と兵庫系欠点が体積均称に現れ、晩成型になった。しかし、このことが肉質、骨味等について他に劣らぬ良牛となり、能登牛なるものが評価されるに至った。
 また、能登牛の販売の始まりは明治2年金沢市に「ビーフ」と横書きした旗を掲げ、生牛肉を販売したのが最初と推測されている。
 現在は、兵庫系を主体として、能登の美しい自然、澄みきった青空とやさしい風土の中で、肉質のきめが細かく美味しい味を引き出すため、丹精こめて育てられています。